用水の歴史

常願寺川は、全国でも有数の急流河川で、この地域の農業用水は、先人達の多大な苦労がありましたが、明治時代にオランダの土木技師、ヨハネス・デ・レーケの合口化の提案を受け、現在の形になってきました。

 

合口化へのあゆみ(年表)

元号・年 西暦 事         柄
元和 3年 1617 常東側仁右衛門用水開削の記録有リ(常願寺川沿革誌よリ)
寛文 5年 1665 寛文5年旧記に左右岸13ヶ所の用水取入ロと各用水毎の水係高の記録有り
明治24年 1891 ヨハネス・デ・レーケが常願寺川を調査し、農業用水取水口の合口化を提案
明治25年 1892 常西合口用水開削事業として左岸側の合口用水路工事に着手(2月)
明治26年 1893 常西合口用水路が完成(6月)
大正12年 1923 用排水斡線改良補助規則が公布され、国費50%、県費20%、
地元30%負担の県営事業制度が整った
昭和11年 1936 岡田砂防堰工事を7月に着手(旧内務省)するも、戦費優先で10月には中断
昭和13年 1938 合口化事業叢計画書を県が作成し、農林省耕地課長が現地を視察
昭和13年 1938 県議会が大蔵・内務・農林の各大臣、知事に合ロ化を建議
昭和17年 1942 左右岸一体の合ロ事業を農地開発営団事業として着工(2月)
昭和22年 1947 農地開発営団の廃止に伴い、合口事業を農林省直轄事業として継承(10月)
昭和24年 1949 常東右岸用水路を建設省直轄の常願寺川右岸改修付帯工事として着工(5月)
昭和27年 1952 国営常願寺川農業水利事業が完了(総事業費約3億4千万円)
昭和31年 1956 国営事業下流部右岸側の常東合ロ用水路が完成(総事業費約1億3千万円)

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