庄川と人の歴史

水神様に祈る

 先人は、川にダムを造り用水路を整備し、取水の安定と送水・配水の合理化を図ってきました。また、近年では水利の状況を監視・操作する施設整備や正確な気象情報の把握等的確な管理体制の構築にも力を注ぎ、用水不足や洪水などのリスクの最小化に努めてきました。
しかしながら、一生懸命に努力もし万全の体制を整えていても、干天や豪雨などの異常気象は発生し、それによって何らかの被害が起きているのも事実で、リスクをゼロにすることは不可能です。私たち用水管理者は、今後も農業用水の適正な管理に尽力すべきですが、神という自然に寄り添い、自然に感謝し、自然と折り合いをつけてきた先人の知恵(文化)を引き継いでいくことも大切なことと思っています。1月4日には、今年も平穏な一年でありますよう組合員の願いを込めて、庄西用水土地改良区の用水神社で歳旦祭が開催されました。
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 庄川流域全般
 〇弁財天社(元雄神神社):砺波市指定文化財  (クリックすると地図が表示されます)
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  庄川流域4万農家を庄川の洪水から守る水神として、流域の人々の崇敬を集めている。
来歴は、天正13年(1585)の大地震で庄川が大洪水になったおり、藩主前田利長公が被災地の視察にこの地を訪れたとき、激流の中に樹木が繁茂する小島を見て不思議に思われ「水の神」である弁財天を祀り、小島を弁財天山と命名されたことによる。
毎年7月25日に氏子をはじめ用水関係者が参列する例祭があり、33年ごとに行われる「御開帳」は多くの参拝者で賑う。
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33年ごとに行われる御開帳
(平成2年8月3日)

 

 庄川上流用水土地改良区
 ○井堰神社(旧二万石用水土地改良区)
神社礼拝
 井堰神社の由来は、旧二万石用水の取水口が、庄川諸用水中最も上流に位置し河川の中央部にある赤岩により安定した河道が形成され、常に豊富なかんがい水が取水できたことから、赤岩に神祠を立て神恩奉謝したことに由来する。
その後、参拝の利便性等に配慮し、最終的には文久2年(1862)に現在の鳥越山の地に遷座し、大正6年から15年に社務所、拝殿等の新築と本殿(写真左上)の修繕を行っている。
なお、御神霊は、文政10年(1827)に、伊勢太神宮の外宮御祭神豊受大神の御分霊を拝受している。
毎年、4月20日、7月10日、11月6日に氏子(用水組合員)が集まり祭礼が行われている。

 

 ○水神碑(旧新用水土地改良区)(クリックすると地図が表示されます)
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 昭和14年8月、庄川合口堰堤脇に合口化による取水を記念して水神碑が建立される。
その後、昭和54年に県営かんがい排水事業「庄川地区」により共同用水路が建設され、その終点地点である揚水機場の完成を機に、場内に移築され現在にいたっている。
毎年6月20日が祭礼日

 

 ○水分神社(旧新用水土地改良区)(クリックすると地図が表示されます)
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  新用水は、庄川水系で最も古く(明暦元年(1655)の記録には用水が引かれていた)取水口が最上流にあり、他用水に比べて恵まれた用水環境にあった。この恩恵に感謝し昭和43年に関係集落により社殿が建立された。
祭神は天水分神(アメノミクマリノカミ)、國水分神(クニノミクマリノカミ)ほか 高瀬神社祠掌
 毎年、3月14日が祭礼日

 

 ○山見八ケ用水神明宮(旧南砺用水土地改良区)(クリックすると地図が表示されます)
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 庄川合口用水堰堤が完成し、安定的に取水が可能となったことから、これも神意による恩沢と昭和15年11月に山見八ケ用水普通水利組合の発案により建立された。
場所は、井波町山見の山見八幡宮境内。
 毎年、7月10日が祭礼日

 

 庄西用水土地改良区
 ○用水神社(旧舟戸用水神社)(クリックすると地図が表示されます)
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 庄西用水土地改良区が管理する用水神社(旧舟戸神社)は、舟戸用水に繋がる下流36の村人が、五穀成就、水難よけを願って嘉永2年(1849)に京都北野天満宮よりご神体を、翌年嘉永3年に伊勢外宮よりご神木を拝受して創建された。
平成16年には砺波市の道路計画により隣接地に移転するとともに、その間の用水土地改良区の合併(庄西用水土地改良区)により神社名を舟戸神社から用水神社に改めている。
境内に残る灯篭土台(写真右端)は、往時の庄川石工の石工技術が残る数少ない文化遺産となっている。

 

 ○旧新又口用水守護所(水神碑) (クリックすると地図が表示されます)
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 旧新又口用水の水神碑(写真右)は、庄川左岸堤防沿い(距離標23.2km)の取水口に昭和9年12月に建立された。その後、庄川合口用水ダムの築造により取水口が合口化されるとともに、庄川の河床低下により取水口は使用されぬままその遺構だけが残っていた。   平成27年に中野放水路発電所の建設に伴う堤防の改修により、その遺構も取り壊されることとなった。
萬古清流碑(写真左)は、平成8年7月に新又口用水土地改良区から庄西用水土地改良区に合併を記念し、建立されている。

 

比賣神社:砺波市下中条 (クリックすると地図が表示されます)
比売神社(砺波市下中条)
 比賣神社の参道を入って境内左手に戸隠神社の祠が祀られている。明治21年は干ばつの年で、下中条村の有志が長野県戸隠神社に参詣し降雨を祈り、分神を勘請している。

 

水神祠(高岡市庄川第3樋管堤防) (クリックすると地図が表示されます)
水神(高岡市庄川第三樋管堤防上)
 社名の由来は神事で治水を祈り、大祓詞を一万回唱えた説と大洪水で一万軒水がついたという説がある。祠は昭和32年(創建は江戸時代)に堤防の改修に伴い現在地に移設され、鳥居は地元有志により昭和55年頃創建された。祭神は豊受皇大神(豊穣)、罔象女神(ミヅハノメノカミ:稲作)、瀬織津姫神(セオリツヒメノカミ:治水)。

 

戸隠神社:高岡市石代 (クリックすると地図が表示されます)
戸隠神社(高岡市石代)
 下中条の比賣神社と同様、明治21年の干ばつの年に長野県戸隠神社の分神を勘請し、翌年の明治22年に社殿を建立している。50周年の昭和12年に社殿を改築し、100周年には記念碑が建てられている。現在、周辺は高岡オフィスパークとなっている。

 

川除地蔵:(砺波市中野) (クリックすると地図が表示されます)
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 現在の庄川の河道を固定した松川除け(1番堤防)は、江戸時代の1670年から1714年の44年の歳月をかけて築造された。川除地蔵(砺波市指定文化財)は松川除堤防の下流側に設置され、地元の金屋石を使用した阿弥陀如来坐像で、江戸時代中期に作成されたものと推測されている。

 

金比羅神社:(砺波市太田) (クリックすると地図が表示されます)
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 自然石の豪壮な山燈籠(1831年建立)一対の奥に四方に濠を廻らせ、玉石を四層に積み上げた城郭様式の上に朱色鮮やかな御堂が2つ(右:神明社、左:金比羅社)ある。庄川の水難防御と五穀豊穣を願って建立されたもので、7月23日の祭礼日の晴れた日には伊勢(右)・金比羅(左)の大幟旗(砺波市指定文化財、現在は複製品を掲揚)と九重旗(中央)が青空に颯爽とたなびき、境内の相撲場ではちびっ子相撲が開催される。

 

 鷹栖口用水土地改良区
 ○鷹栖口用水守護所(水神碑) (クリックすると地図が表示されます)
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 鷹栖口用水守護所は、洪水や水不足に苦しんでいた村人たちを救うため、河の神である雄神や水利を司る神々への祈願と感謝をこめて、弁財天前の地を選び砺波市上中野地内(料亭「川金」前)に明治15年(1882)に建立された。昭和47年9月16日には「用水守護所」を刻む碑石(写真左)に亀裂が生じ、再建されている。
年に一度の例祭は古くは一定していなかったようであるが、大正年代より農業用水の通水が始まる時期の4月14日に改められ、現在に至っている。

 

 庄東用水土地改良区
○福岡神社:巌照寺境内 (クリックすると地図が表示されます)
神社
 芹谷野用水は寛文4年(1664)から開削工事が始まり、10年の歳月を経て庄川取水口から生源寺に至る28km(一説では32km)の用水路が完成し、芹谷野の段丘に20の新村が誕生した。福岡神社はその用水の守護神として祀られている。
なお、福岡神社がある巌照寺には、樹齢450年を誇る門杉(県指定文化財:写真左下)や木造阿弥陀如来立像、梵鐘(市指定文化財)などの文化財がある。

 

 ○宇賀社(弁財天):三合神社境内 (クリックすると地図が表示されます)
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 芹谷野用水開削の後年、より高台部への用水の供給のため開削工事が始まる。7年の難工事の末貞享4年(1680)に、庄川本流右岸の取水口(現庄川合口用水ダム上流約200~300m地点、後年本取水口が芹谷野用水と合口される)から延長12kmにわたる水路が完成した。
宇賀社は、この用水の守護神として祀られており、三合神社の社歴には寛政8年(1796)に宇賀社の名が記されている。祭神はウガノミタマノミコト、ミズハメノミコトの男女水神。
 毎年、3月18日が祭礼日

 

甚兵衛顕彰碑(砺波市宮森新神社内)
宮森新神社 甚兵衛碑
 芹谷野用水の開設を担当した甚兵衛を顕彰し、昭和25年に宮森新神社内に建立。芹谷野用水は十村の川合又八と折橋九郎兵衛の尽力により、1664年から10年余りで開削、1677年頃には新開(田)もほぼ完了している。

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